北浜ナビ

古き良き街並み「北浜」


昔ながらの落ち着いた街並み、良き大阪の情緒を感じさせてくれる北浜に実店舗を構える古美術・玄海樓。
江戸時代初期から商業経済中心地帯として発展した大阪・北浜。
ここでは、今なおその面影を残しながら繁栄している北浜の街を御紹介致します。

参考文献・出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』『大阪美術倶楽部』

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大阪証券取引所

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株式会社大阪証券取引所(おおさかしょうけんとりひきじょ、
Osaka Securities Exchange Co., Ltd.)は大阪府大阪市中央区北浜に
ある日本の金融商品取引所である。

東京証券取引所、名古屋証券取引所と共に、日本の「三市場」の一つ。

略称は大証(だいしょう)。俗称は北浜。

市場第一部・市場第二部・新興企業向けのヘラクレス・日経225先物
市場などがある。

諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、
五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身である。

なお、堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う
「帳合米取引」が、世界で最初の商品先物取引と言われる。
この伝統から、大証は指数先物・オプション市場において重要な
地位にあると言える。

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難波橋(ライオン橋)

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難波橋(なにわばし)は、大阪市の旧淀川に架かる橋。
浪速の名橋50選選定橋。
大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。

大阪市中央区北浜~北区西天満の堺筋にかかる、
全長189.7m、幅21.8mの橋である。
途中の中之島を挟み、土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。

江戸時代には天神橋、天満橋と共に浪花三大橋と呼ばれ、
表記は「浪華橋」が一般的であった。

橋の南詰めおよび北詰めには、天岡均一作のライオンの石像が
左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。
このライオン像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像と
なっており、文字通り狛犬の片方である獅子=ライオンであると言える。

中之島水上公園計画の一環として設計された事により、
石橋風の外観、公園と一体となった階段、高欄の獅子像、
親柱にはペディメントやメダリオンをあしらい、市章である
「みおつくし」をアレンジした意匠が親柱や欄干に模られている。

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大阪市立東洋陶磁美術館

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大阪市立東洋陶磁美術館(おおさかしりつとうようとうじびじゅつかん)
は、大阪府大阪市北区中之島一丁目にある美術館。

住友グループから寄贈された安宅コレクションと呼ばれる東洋陶磁
コレクションを核として1982年に設立。

高麗・李氏朝鮮時代の朝鮮陶磁、中国陶磁を中心に、国宝 2件、国の
重要文化財 13件を含む約2000点が収蔵されている。

この珠玉のコレクションは1977年(昭和52年)に経営破綻した
大手総合商社安宅産業株式会社および創業家二代目の安宅英一会長が
収集したものであった。
安宅英一は社業の傍ら東洋陶磁のコレクション形成に心血を注ぎ、
日本中の収集家のコレクションがここに次々と合流していた
(いわゆる「安宅コレクション」)。

安宅産業経営破綻後、その所有を住友銀行(現三井住友銀行)が
引き継ぎ、体系的で貴重なコレクションの散逸を惜しむ各方面の
意見により、住友銀行を中心とした住友グループ各社の協力のもと、
965件、約1000点が大阪市に一括寄付されることとなった。

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大阪市中央公会堂

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大阪市中央公会堂(おおさかしちゅうおうこうかいどう)は、大阪市
北区中之島にある集会施設。

大阪市中央公会堂(旧中之島公会堂)は1911年(明治44年)、株式仲買
人である岩本栄之助が当時の100万円を寄付して建設計画が始まった。

北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった
1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設
の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。

建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建て。
意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを
持ち、細部にはセセッションを取り入れており、アーチ状の屋根と、
松岡壽によって天地開闢が描かれた特別室の天井画・壁画が
特徴となっている。

大阪市中央公会堂は、日本有数の公会堂建築であり、外観、内装とも
に意匠の完成度が高く、日本の近代建築史上重要なものとして2002年
(平成14年)12月26日、国の重要文化財に指定されている。

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緒方洪庵旧宅及び適塾

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適塾(てきじゅく)とは、蘭学者・医者として知られる
緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。

正式には適々斎塾という。また、適々塾とも称される。
緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来。

幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、現在の大阪大学
の源流の1つとなっている。

[主な門下生]
石阪惟寛(陸軍軍医総監)
大鳥圭介(蝦夷共和国の陸軍奉行)
大村益次郎(「村田良庵」と言う名で入塾。日本近代陸軍を創設)
佐野常民(日本赤十字社初代総裁)
高松凌雲(箱館戦争の際の賊軍の病院長)
武田斐三郎
手塚良仙(漫画家・手塚治虫の曽祖父)
長与専斎
橋本左内
福沢諭吉(慶應義塾大学を創設)

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少彦名神社

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少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は、大阪市中央区道修町
(どしょうまち)にある神社。

別称として、道修町の神農(しんのう)さん、神農さん。

祭神は薬・医療・温泉・国土開発・醸造・交易の神であるが、
少彦名神社では、薬の神として健康増進、交易の神として商売繁盛の
御神徳があるとされている。

薬にゆかりのある祭神を祀っていることから、
医薬業に携わる会社・関係者などの信仰を集めている。

また、病気平癒・健康祈願や医薬業関連の資格試験合格を願う参詣者も
多い。

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大阪美術倶楽部 大阪美術商共同組合

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1910年(明治43年)
東区唐物町1丁目大阪商盛組合内に於いて
同組合有志者が発起人となり、株式会社大阪美術倶楽部が創立。

1911年(明治44年)
東区淡路町4丁目に約600坪の土地を購入し、同年12月工を起し
約1年有余の日月を閲して、純日本式2階建家屋約350坪施工。

1942年(昭和17年)
五都美術倶楽部の申合せにより商号を株式会社大阪美術会館と変更。

1946年(昭和21年)
旧商号大阪美術倶楽部に改称。

1947年(昭和22年)
美術界に由緒ある鴻池男爵家本邸である現在の東区今橋2丁目の土地家
屋を購入し、同時に淡路町4丁目の羅災地を譲渡。

1965年(昭和40年)
木造一部を取り壊し地上3階、地下1階延350坪の鉄筋新社屋を新築し
事業を拡大する。

1980年(昭和55年)
鉄筋4階建て延470坪のビルを増築し、美術品の取引市場並びに本格的な
貸し会場として事業を拡大する。

2007年(平成19年)
昭和22年より使用してきた鴻池男爵家本邸を建替し、地上3階建ての
新館が完成。

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 「中でも古美術は、日本の歴史とともに発展してきた文化遺産だと思います」 大阪の歴史が残る街・北浜で古美術品を取り扱う「玄海樓(げんかいろう)」の店主、野元淳さん。古典籍や書画などの古美術を日々探している野元さんが特に好きであり、力を入れ...

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店名 : 玄海樓
住所 : 大阪府大阪市中央区北浜2-4-13 北浜2丁目ビル2階 [地図]
TEL : 06-4706-7371

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