コラム

 公開日: 2014-12-26  最終更新日: 2014-12-27

「ジャケットを着てゴルフに行く」 その③

日本のほとんどの会員制ゴルフ場では、入退場時の「ジャケット着用」や「ブレザー着用」が「ドレスコード(服装規定)」のひとつとして定められています。この規定については、なかば形骸化されつつあるためにゴルファーの方々のとまどいや批判の声がインターネット上などでも挙がっています。
そもそも、なぜこのルールが必要だったのか?今後はどう考えるべきなのか?
「入退場時のジャケット着用」について、以下の3点から考えてみたいと思います。

なぜ、第2次世界大戦後ぐらいまでのゴルフでは「スーツ(紳士服)」を着てプレーしているのか?
マスターズの「グリーン・ジャケット」のように、各々のゴルフクラブで「ブレザー」にエンブレムを付けて会員ユニフォームとしたことから広がった?
③日本ゴルフの発展の中で移り変わっていく人の心
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すでに①②について考察してきました。
今回は③の≪日本ゴルフの発展の中で移り変わっていく人の心≫について考えてみたいと思います。

初期の日本ゴルフ

1901年(明治34年)、英国人アーサー・ヘスケル・グルームにより日本で最初のゴルフコース4ホールが兵庫県神戸市の六甲山に造られたのが、「日本ゴルフの発祥」とされています。1903年(明治36年)に9ホールとなり、日本で最初のゴルフ倶楽部「神戸ゴルフ倶楽部」が誕生しました。しかしこのゴルフ倶楽部は英国人のためのものであり、日本人による日本人のためのゴルフ場ができたのは、1914年(大正3年)東京の駒沢村に設立された「東京ゴルフ倶楽部」が最初でした。
当初の東京ゴルフ倶楽部は皇族、華族、三井、三菱の財界人、政治家、学者などの社交場の様相を呈することになります。その後、大正デモクラシーの気運の中で、高給取りの重役サラリーマンも会員になり始めました。

1928年(昭和3年)以降、川奈、名古屋、霞ヶ関、我孫子、相模、廣野などができ、ゴルファーの数も増え始めていました。当時のコースは現代のような重機もなく、すべて手造りのコースでした。大変な苦労だったと思いますが、日本ゴルフの普及と発展を目指して、多くの人が尽力されていました。

日本ゴルフは発祥から英国の強い影響を受け、また模範としていました。それは英国が米国と違い、同じような狭い国土の島国であり、また同様の階級制度を持つ国として、すでに世界中に進出して活躍している英国及び英国紳士への強いあこがれが日本の上流階級の人々にあり、ゴルフもその紳士たるアイテムのひとつと考えられていたのではないでしょうか。


ゴルフへの反感感情

しかし、軍の若手将校や行政官、そして知識人には、ゴルフを「羨望とあこがれ」の対象としてではなく、一部の特権階級のぜいたくな遊びのためだけに、何ら生産性もなく広大な土地を使うということに強い反感や批判を呼びました。
新聞や雑誌も「ブルジョア遊戯」と決めつけ、ゴルフ亡国論が著名な学者や評論家によって堂々と展開されていきました。
そして、ゴルフは「金持ちの遊び」として批判され続け、ついには「税金を取ればよい」という考えにつながっていきました。

1938年(昭和13年)、ゴルファーに対して10%の入場税を取るようになりました。翌1939年(昭和14年)には20%に増額、さらに太平洋戦争が始まった1941年(昭和16年)には50%に引き上げられ、1943年(昭和18年)には「戦時特別入場税」として90%に増税、ついには1944年(昭和19年)150%へと増額されました。

戦時下においてゴルフが目の敵とされたのは、ひとつに従来からの「特権階級の遊びである」という考え方が一般論として根強くあったことと、ゴルフ場の敷地が広大であり、これを畑地にして「食料増産を行え」という意見が強くありました。軍部からの風当たりはとくに強く、ゴルフ場を「軍用地」として徴用しようなどの考えがあったからです。
現に戦争が激しくなるにつれ、日本全土にあるゴルフコースのほとんどが、軍用及び農耕地として閉鎖の止むなきに至った時代でした。

戦後、3つのゴルフブーム

1940年(昭和15年)の時点で日本には41のコースがあり、ゴルフ人口は推定約11万人だったといわれています。
ようやく戦後の混乱から立ち直り始めた1948年(昭和23年)頃からは、戦時中に閉鎖したゴルフクラブが復活したり、荒廃したコースの復興も徐々に進んでいきました。

その後、ゴルフはあまりにも急激な発展を遂げていきます。
戦後のゴルフの発展には3度に渡るゴルフブームがありました。第1次ゴルフブームは1958年から1962年ごろまで、第2次が1971年から1975年頃まで、そして第3次が、1986年からバブル経済の崩壊が始まる1990年頃までと考えられます。

第1次ゴルフブームでは、ピークの1962年にゴルフコースが全国で295コース、第2次の1974年には927コースとなりました。とくに1975年の1年間で166コースが増加しており、ゴルフ人口の増加を追う形でゴルフ場建設ラッシュが起こっていました。
さらに1992年には、2000コースを超えるまでに増加し、その頃の日本のゴルフ人口は1350万人と推定され、国民の11%がゴルファーとなっているような時代にまで発展し成長するに至りました。

急激な発展によるゴルフ界の異常構造

ゴルフブーム期に造られたゴルフ場のほとんどが会員制のゴルフコースで、特に第3次ゴルフブームでは、豪華なクラブハウスを建設し、見た目に美しいコースレイアウトを採用して高級感を装うことで、高額の会員権を販売して会員募集をしたり、接待用の法人会員倶楽部として「名門」を自認するところも少なくありませんでした。またゴルファーも高額会員権ゴルフコースのメンバーになることが社会的ステータスの証とされていました。

1970年以降はゴルフ大衆化を迎え、ゴルフ人口が増大し、会員制コースにも高額会員権を取得できないビジターゴルファーがあふれ、「土・日曜日は会員のみプレー可」「ビジターのプレーは会員の同伴や紹介が必要」といった制限を設けるゴルフ場も少なくなく、それらのゴルフ場が設定した高額ビジターフィを払いながらプレーしなければいけませんでした。
こうした経緯から、日本におけるゴルフは非常にお金のかかる遊びとして位置づけられ、また企業接待用として使われるようになり、他人や会社のお金でゴルフをすることが個人の社会的地位に与えられた特権だというような、倒錯した感情も生まれるようになりました。

日本におけるゴルフは一気に大衆化され、誰もが手の届くものとなってきましたが、急激な発展過程においては、「英国紳士」を目指し、普及と発展を目指した「初期の日本ゴルフ」の想いはなく、無秩序なゴルフ場開発による環境破壊問題、株式などと同様の投資を対象としたゴルフ会員権売買など、ゴルフをしない人々にはスポーツとして到底受け入れられないという批判的なイメージが定着していきました。

しかし、このような異常な状態も「バブルの崩壊」とともに終わりを告げ、ゴルフの会員権相場、プレー料金は劇的な下落へと向かっていきました。
その結果、日本人の「ゴルフ離れ」が進み、ゴルファーは激減。2007年(平成19年)にはゴルフ人口は830万人となり、ピーク時の約4割もの減少となりました。

「セミ・パブリックコース」的な会員制ゴルフコースへの変化

「バブルの崩壊」から20年を超え、その間にゴルフ場では目まぐるしく経営者が交代し、デフレ不況の中で生き残るための模索が続いてきました。
現実として、戦前から続く一部の名門ゴルフクラブを除いた、ブーム時にオープンした多くの会員制コースでは、会員とゴルファーの減少により、パブリックコースに限りなく近い事実上の「セミ・パブリックコース」的な経営実態となっています。日本のゴルフ場のほとんどが会員制であったことが「セミ・パブリックコース」をつくる要因となっています。
欧米と日本とのゴルフ場運営の大きな違いとして、日本には、一般のパブリックコースだけでなく、公営ゴルフコース(ムニシパル・コース)が極端に少ないことが、ゴルフを本当の意味で大衆化できない要因とさせているのではないでしょうか。欧米のように公営コースが数多く造られていれば、多くの人が気軽に安価にゴルフプレーを楽しめ、反対に会員制コースとの区別が明確となり、会員制コースでは、クラブライフの充実やステータス性を保つこともできるかもしれません。

とはいえ日本の現状では無理な話。全国の大多数を占める会員制コースの中で、「セミ・パブリックコース」的なコースと会員制を維持していくコースとの2極化がさらに進むと思われます。
ゴルファーのプライベートゴルフ、カジュアルゴルフを運営方針として掲げ、低料金で気軽にセルフプレーが楽しめるゴルフ場と、一方で会員制を中心とした運営方針により、会員ゴルファーの「クラブライフ」「ステータス性」を満足させるゴルフ場を目指していくという運営方針の2極化が明確になっていくと思われます。
全てにおいて多様化されている現代、ゴルフも個人や団体の志向によって、楽しみ方や利用の仕方にも選択の幅ができることが望ましい姿であるともいえます。

「セミ・パブリックコース」での「ジャケット着用」

いまだ日本のほとんどの会員制ゴルフコースでは、入退場時の「ジャケット着用」が「ドレスコード」の一つとして定められています。
とくに歴史ある名門と呼ばれるゴルフクラブでは、現在においても頑なまでに「ドレスコード」が遵守されています。
反対に「セミ・パブリック」的コースといわれるように、来場者増を一番の目的としている多くのゴルフ場では、定められた「ドレスコード」を守ることは二の次となっています。
また「ドレスコード」を堂々と守らない人がいても、それに対し毅然とした態度を取ることもできず、また静観しているゴルフ場が多々あります。この現状に、守るべきかどうするべきか戸惑っているゴルファーも大勢います。

このような状況を変えていくためには、そのゴルフ場の運営スタイルにあった、かつゴルファーのニーズに合った「ドレスコード」を新たに決めるべきではないでしょうか。
会員制としての機能が失われているのであれば「ジャケット着用」の必要性もないと考え、明快に変えてしまうことも必要なのかもしれません。
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